2010年3月 4日
戦争犯罪、国際刑事裁判所の設置
第二次世界大戦における惨禍、特にホロコーストの惨劇をくり返さないとして、国際軍事裁判を行うに至った経緯を踏まえ、戦争抑止の意味からも、武力紛争時に行われた「ジェノサイドの罪」「人道に対する罪」「戦争犯罪」の実行者や共犯者、依頼者、教唆者、煽動者、上官などを、戦争犯罪としてを裁く常設の国際法廷設置が国際連合により提唱されたが、東西冷戦の時代には進展を見なかった。
しかし、冷戦終結後、民族紛争に伴う大量虐殺など「人道に対する罪」を裁く国際犯罪法廷が安全保障理事会決議によって臨時に設置されたこともあり(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、ルワンダ国際戦犯法廷)、常設の国際法廷設置議論が見直され、1998年7月にローマで国際刑事裁判所設立のための外交会議が開かれ、国際刑事裁判所規程が採択された。条約の発効に必要な60カ国が批准し、2002年7月から正式に発効、既に設置されている国際司法裁判所と共に2003年からオランダのハーグに設置されている。日本も2007年中に正式に加入する見通しであるが、アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦などは未加盟であり、その実効性は乏しいともいわれている。
かつて戦争犯罪と定義されていたのは、捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や、非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」など、戦時において守られなければならないとされる国際法(戦時国際法)違反行為のみであった。
第一次世界大戦終結後、戦勝国が敗戦国の指導者を裁くことが国際的に協議され、戦勝国であるアメリカ合衆国・イギリス・フランス・イタリア・日本の連合国側は、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世を、国際道義に反したという理由から、当時の連合国五カ国の裁判官による裁判にかけることを決めた。だが中立国であるオランダが亡命していたウィルヘルム2世の引き渡しを拒んだため裁判は行われなかった。また「人道に対する罪」はこの時のパリ講和会議において、敗戦国ドイツに対し初めて罪状として指摘されたとする説もある。
第二次世界大戦の最中、連合国側はドイツの残虐行為を幾度も非難し、戦争終結後には責任者の処罰を求める事を強く警告していた。しかし、この時点ではナチスのホロコーストなどの犯罪行為をそれまでの戦争犯罪の定義の範囲でしか捉えておらず、問題視されていたのも戦時国際法規違反のみであった。
だが、1942年ロンドンで、ベルギー、チェコスロヴァキア、フランス、ギリシャ、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ユーゴスラヴィアの連合国側9ヶ国により、ナチスの特に民間人への残虐行為を通常の戦争犯罪として扱うのみならず、その犯罪行為に責任を持つべき上官や政府指導者の責任まで問うべきだとする宣言が出され、翌1943年10月のアメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国の各国外相会談によるモスクワ宣言の中で、ナチスの主要戦争犯罪人及びユダヤ民族抹殺計画犯罪人への処罰が言明された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
戦争犯罪について色々と勉強になりました。
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